ベルリンから人生敗者復活戦。

ワーキングホリデーの失敗談を綴る。その失敗の過程と、失敗から出直す、敗者復活戦の過程も勝手に配信する。

第一話 「真面目ちゃん」が人生投げ打って、ドイツまでワーキングホリデーに来ているけれども、半年で諦めて帰国しようか、と思っている件について。

時:1月初旬(多分2017年1月2日ぐらい)

テーマ:ダメすぎるワーホリを嘆き喚く

 

ベルリン熊「もう、おてあげだよー!」

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「真面目ちゃんが人生投げ打ったって。大袈裟な!(笑)」

 この場合の「真面目ちゃん」とは私です。まあ基本グッダグダの不真面目なダメ人間なんですけども、やるときは頑張ったりする外面人間でもあるので「真面目」とはよく言われます。人生投げ打ったって大層なことを言いましたが、普通にアラサーで会社辞めてワーホリに来たってだけなので、捉え方は人それぞれだとは思います。私には「人生かけて大博打!」な心境ではありますけども、受け取る人によっては「大袈裟!」の三文字で終了だと思います。すみません、常にジェットコースター級の大騒ぎをしてしまいます。

 

ワーホリ5ヶ月目で帰国を検討しています。このまま帰国するのか!? 

 今月中に先行きの見通しが立たないならば、キッパリと諦めて日本に帰国するべきだと思っています。甘い考えだったと一言で一喝してしまえばそれまででしょうけども、せめて私にそんな刃を向けるのは実際にここまできて同じことをして夢破れたか、食らい付いて夢を実現したか、夢を修正して現実に折り合いをつけたか、とにかく同じように挑戦した人間にだけ一喝されたい、とか思っています。無理でしょうけども。ここで帰国することは簡単に捉えれば「負けた」ということになるのだけれども、「負けた」にせよ、「勝負をした」という一点が、私にとって重要であったのだと思っています。もしこの一ヶ月でアルバイトであれ何であれ職が見つからなければ、帰国しようと考えています。

 

「ベルリンって国際都市でしょ?英語出来たら仕事見つかるんじゃない?」とか「ショートケーキに蜂蜜かける」ぐらいに甘い幻想だったよ!

 当初は、ドイツの中でも国際都市であるベルリンであれば、ドイツ語が多少不自由であろうとも英語でなんとか職にありつけると考えていました。それ以上に「日本での経験を生かして、キャリア転換を狙いたい」など夢も見ていました。私のスキルをあげれば、日本の四年制大卒、英検一級とか、まあ英語が得意で、スペイン語も日常会話程度には話せる、というそんな感じ。そして日本のホテル企業で3年働いて、1年半は広報業務にも関わっていました。だから私は、その経験を生かしてベルリンのスタートアップなり、日本展開を望んでいる企業にて仕事を探して、徐々にドイツ語を習得しながら暮らして行こうと考えていたのです。まさに「ショートケーキに蜂蜜かける」ぐらいに甘い考えしかございませんでした。

 

ふわっふわの考えで、どーにかなるほどベルリンの就活は甘くないです。

 「英語で何か仕事を探す」ぐらいならまだ何とかなったかもしれません。私、もっと欲張っていました。この機会に、芸術が盛んなベルリンにて何かしらアート、もしくは映画関係の仕事に関わりたいと思ってたんです。しかし、到着して初っ端に「ドイツ語が出来ないと仕事は見つからない」と現地在住の日本人よりアドバイスを受け、なんやかんやとドイツ語をのらりくらりと勉強していたのが当初の3ヶ月。さて、映画関係各所の会社に履歴書を送るか、と送り始めたのが3ヶ月を過ぎてからで、そこで初めて気がついたのです。ドイツ語も不自由でかつ、具体的なスキルがない日本人が映画産業に求められている訳がないと。「日本マーケット担当者のお手伝いぐらいで雇ってもらえないかな」という考えで雇ってもらえる訳がありません。日本側の取引先だって英語担当の日本人が居るでしょう。英語でそもそも仕事が成り立っていたら、そこに私がお手伝い出来ることなど何もないのです。お手伝い程度のスキルよりも、具体的にどこの分野で何が出来るのか、そのようなスキルがなければ私を雇う理由などありません。そもそも雇用側で雇用を募集しているわけでもないのに「仕事ありませんか。」と履歴書を送りつけているのです。THE無謀!あらかたベルリン、またドイツ国内の日本に関係のありそうな映画企業に履歴書を送りつけ、そして気がつきました。何をしていたのだろうかと。私、スキルもなければ、お呼びでもない企業にゴミを送りつけていただけだったわ。そのゴミは、私が3ヶ月もかけて熟成した、私自身の全人生の縮図でもありました。気がつけば既に四ヶ月は経ち、2016年が過ぎ去って行きました。「私このままだとヤバすぎる」焦ったのが年末で、「2017年1月までに仕事が決まらなければ、日本帰国。」と目標を定めたのでした。