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ベルリンから人生敗者復活戦。

ワーキングホリデーの失敗談を綴る。その失敗の過程と、失敗から出直す、敗者復活戦の過程も勝手に配信する。

現金の持ち合わせが無くてピンチ!クレジットカードでベルリンの地下鉄、バス用の交通チケットが買いたい時は駅構内コンビニへ!

もうタイトルで結論出ていますが、結構困っちゃう人もいると思うので一応紹介しようと思いましたというのも、私の可哀相な実体験から発生している今回のテーマ。

 

ATMから現金が引き出せません!?現金が重要なベルリンでは死活問題。

私、2月に仕事が決まって働きだすまではドイツに銀行口座を作っておきながらもまだドイツの口座にお金を入れておりませんでした。ベルリン滞在最初の半年間は日本の銀行口座からお金を小額ずつキャッシュカードで引き出して現金化していたのですね。基本は現金ではなくクレジットカードを使用していたのですが、なんとドイツって結構クレジットカードが使用出来ないところが多いんです。レストランにしろ美容院にしろ、「デビットカード(すでに銀行口座に入っているお金の分だけ使用出来るカード)であれば使えるけどね。」と断られたり、「クレジットで支払うと手数料で+5ユーロかかっちゃうよ?」というプラクティカルな対応が多かったりして、結構現金が必要になってくるもの。語学学校に授業料を現金で支払ったらそれだけで225ユーロになってしまいます。ベルリンのクラブだってエントランスフィーは現金払いが基本だし、なにより友人とレストランで割り勘する時も現金でパッと支払う必要がありますよね。ベルリンは現金を持たずに生活するのは難しい場所なんです。

私がトラブルとなったのは一ヶ月のキャッシング枠が5万円と限定されていたこと。それまでは節約生活だったので特に現金を5万円以上払うことは無かったのですが、2月から仕事が決まったぞー!わーい!と喜んでいたらクラブに行ったり食事に行ったり、なんだかんだと現金をちょくちょく引き出し、5万円の限度額を超えてしまいました。限度額を超えると、それ以上は次の月まで引き出せなくなります。はい、現金がないってめっちゃ大変です!

 

ベルリンの交通網はとっても便利!でもチケットの販売機がクソだよ!

これもどうしようもないことなのですが、日本人関係なく、もう別の国から来た旅行客もヨーロッパからの旅行客も等しく「は!?チケットの販売機ってクレジットカードは使えないの!?」と自販機前で慌てています。しかも自販機、パッと見ではクレジットカードが使えるように見えるんですよねえ。。。

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はい、写真では機械の右側にカードを差し込む部分やパスワードを入れるキーパッドがありますよね。コレを見て皆さん「やったー、クレジットカード使えるやん!」と思っちゃうんですよね。

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チケット購入手続きを進めて行くと、支払いの画面となりますがここで何かが変であることに気づくのです。「クレジットカードに×が付いている??」そうなんです!まあ色々とカードの種類があるのですが、とりあえずクレジットカード対応してくれていないのですよ。場所によってはクレジットカード対応が可能な自動販売機もあるのですが(ベルリン中央バスセンターの自販機はクレジットカード使用はオッケーだった気がする)、たいがいのチケットの自販機ではクレジットカード対応不可になっているので皆さん支払いが上手くいかない度に「あれ?なんでだ?」と自販機前で無駄な抵抗を試みるので、結構自販機が混むこともあります。

 

ベルリンの交通チケットは結構高い!一週間乗り放題は30ユーロ。

じゃあ現金で買えば良いじゃない!って話ですが、ベルリンの交通費って意外と高いのです。一日乗り放題のチケットは8ユーロ、一週間ほど滞在する旅行者には1週間乗り放題チケットもありコレは30ユーロです。一ヶ月の定期券は大人81ユーロとお高め。現金一括で買うには持ち合わせが足りないことも多々あることでしょう。チケットを買う為だけにわざわざATMを探しに行くなんてやりたくないし、高額だけどもお得なチケットを買うほどの現金が無い為にとりあえずの1回券2.8ユーロ(同方向であれば2時間有効のチケット)を買ってしまっても、何となくもったいない気がする。でもベルリンの地下鉄などでは抜き打ちでチケットチェックをされるので「一回だけならいいかな?」と思って無賃乗車をすると、捕まった場合の罰金は80ユーロと高額。リスクは取りたくないですね。

 

BVG(ベルリンの公共交通機関をまとめている機関)の事務所に行ってもクレジットカードでは買えない!?

私はなんとしても一ヶ月分の定期券を購入したかったので、なんとかクレジットカードで購入出来る場所は無いかと自BVGのオフィスまで頑張って歩いて行きました。だってチケットの取り締まりだったり販売の管理をしているのだから、チケットをその場で購入することも可能であろうと思ったのです。が、なんと窓口で「ここではチケットを販売していないし、クレジットカードで支払うことももちろん出来ない」と門前払いをされてしまいました。オフィスにもよるのかもしれませんが、BVGの事務所に行ってもクレジットカードで買うことは出来なかったです。(私はPotzdomer strasseの辺りのオフィスに行きましたが、こちらでは扱いはありませんでした。)

 

駅構内の売店でチケットが買えるよ!もちろんクレジット対応もオッケー!

落胆しつつも希望を込めてとりあえず駅に戻り、「もしかしたら別の自販機ではクレジットカードにも対応してくれているかも!」と駅構内に入ってみると、ふと目に付いたのは駅構内のコンビニエンスストア。

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「あれ?何かS バーン、Uバーンのチケットのマークがついたポスターがある。」

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そうなんです、なんてことは無い!駅構内にある売店では交通チケットを販売してくれていたのです!しかーも!普通の買い物と同様でレジでお金を払うのでクレジットカード対応がもちろん可能!レジで店員さんに買いたいチケットの種類を伝えれば、その場でチケットを発行してもらえます。また一ヶ月定期券などは「何日から有効のチケットが買いたいんだ?」と日付を聞いてくれるので、チケットの有効期間を自分で指定したい場合は「三日後から有効の一ヶ月チケットで」とお願いすることも可能。どこの駅でもだいたいは売店があると思いますので、そこでチケットを買うようにすれば現金の持ち合わせが無い人も安心して交通チケットを購入することが出来ます。

 

意外と情報が無かったクレジットカードでの交通チケットの購入の仕方

私はクレジットカードのトラブルで現金が皆無となり、本当に困りましたので英語でも情報を検索したりとかなり焦りました。その際、結構旅行客の方々が同じ質問をしていても「大きなBVGのオフィスで買えるよ。でも朝の9時からしかオープンしていないね。」のように情報提供はあっても、実際には駅構内の売店で買えると教えてくれる情報は出ていませんでした。もしかするとベルリン旅行中の方、また私と同様のトラブルで困っているベルリン在住の方に役立つかもしれないと思い、今回久しぶりに映画以外の文章を書きました。どなたかのお役に立てたら幸いです。

【日本劇場未公開】「スケルトン・ツインズ幸せな人生のはじめ方」 コメディアンこそ至高の役者!SNLのビル・ヘイダーが好きすぎて。

このポケッとした表情!大好きなコメディアンが大好きな俳優でもある件について。

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ベルリンの図書館でジャケ選びした映画第二弾。ビル・ヘイダーが好きすぎて一目で確信しました、「絶対に良い映画!」見てみよう! NYどころか全米で最高の支持率を誇る長寿番組Saturday Night Live(サタデーナイトライブ)頭文字だけをとって通称SNLと呼ばれています。この番組で絶大な支持を受けていた人気コメディアンが今回の映画の主演の一人ビル・ヘイダー。2013年にSNLを惜しまれながらも卒業したビル・ヘイダーの初映画主演作品と銘打たれています。お相手の主演女優も同じSNLで看板コメディエンヌとして活躍していましたクリステン・ウィグ。同級生みたいに同時代のSNLを牽引してきた二人なので、双子役はまさにはまり役でした!

 

SNLって何?ビル・ヘイダーって誰?「なんてったってステファン!」

先ほどの説明ではまだまだ彼のコメディアンとしての実力が説明式でないので、先に彼の代表的なスキット(短編ドラマみたいに台本がある漫才みたいなもの)のキャラクター「ステファン」をご紹介させて下さい。

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字幕無しなので英語が苦手な人にはチンプンカンプンかもしれませんが、ここでは「City correspondant(NYの案内人)」として彼独自の視点から「春にNYを訪れるならばオススメはこのスポット!」のように地元民ならではの情報提供を行うキャラクターを演じています。まあ、この情報提供がヒドいんだ!絶対に子供を連れては行けないし、思わず二度聞きしてしまうような「え?」な場所や内容をブっ込んでくるので、言わずもがな大人気コーナーとなっています。毎回必ずオススメのクラブの紹介をしてくれるのですが、「クラブの名前は”Your mom and I are separating.(パパとママは離婚することにしたよ)”」とか、「This plavce has everything, broken glasses…(このクラブには何だってあるの、割れたグラスに〜)」とアングラ感がハンパない。この映像ではクラブの名前が「セルフぃ〜!」になってましたね。丁度セルフィーが流行りだした頃でした。 

極めつけは必ずどこかで入れてくるミジェントネタ。ミジェントとは身長が小さい、小人症の方々を現す単語(侮蔑語にもなり得る)で、とにかく差別的要素が含まれているので使用には本当に気をつけなければいけないのですが、ステファンはガンガンにぶち込んできます。ステファンが「ヒューマンルンバっていうのがあって〜」と話し始めれば、「え?何ソレ?人間のルンバ(床などを掃除してくれる便利な円形の掃除機)?」と司会者が聞き返す。そしてステファンが「そうそう、ミジェントが這いつくばって床のゴミとかを食べてくれるの!」ととんでもないことを言って退けるので、「そんなものは存在しないだろう!」と司会者に𠮟られる、ここまでが一連の流れです。(※アメリカでは差別に敏感でありながらも、ギリギリの笑に収まるラインで差別的な用語もコメディーに使用することが多々見られます。コノ場合ではゲイであるステファンが、同じマイノリティーであるミジェントの方々をネタにする、という背景があるので割と反感を買わずに定番ネタとして毎回新ネタが披露されていました。)ブっ飛んでいるようでウィットに富み、何よりも良いながらステファン役のビル・ヘイダー自身が「俺、何言っているんだ?」と途中から笑がこらえられなくて吹き出してしまう、そんな面白さもあって、3回目ぐらいからはステファンが登場するだけで歓声が上がるレベルまでのキャラになりました。ご紹介した映像では、ステファンもアンカー役のセス・マイヤーも両方笑いがこらえられない様子がたまらなく面白いです。

 

ステファンが大人気過ぎてキャラクターの卒業はスペシャルバージョン、結婚までしちゃう!?

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ステファンは司会者役のセス・マイヤーのことが好き!という設定だったので、番組中には何度もセスに好き好きアピールで迫ります。でもなかなか実らない恋に「もう、貴方以外の人と結婚するわ」と足し去ってしまうステファン。今までは袖にしてきたセス・マイヤーも実は憎からず思っていた訳で。最後には超ゲイでパンクで、もう訳分からん結婚式に乗り込んで行き、ステファンを映画「卒業」さながらに攫って行く、という卒業イベントまで放映されました。ここまで見て頂ければ分かると思いますが、何と言ってもキャラへの入り込み様がコメディーレベルを超えていると思います。流石アメリカ!とでも褒めたくなるぐらい、映像にもお金がかかっていますし、相乗効果でビル・ヘイダーらの演技が極まって見えますよね!

SNLのスキットではハリウッド俳優の実力が分かる!?最強は〇〇!

SNL出身でコメディー中心の俳優になった人達は数多くおり、エディー・マーフィーが一番が有名でしょうか。文章タイトルにもつけましたように、私は「コメディアンこそが至高の役者!」と言いたくなるほど、コメディーの演技が出来る人ほど実際の演技もお上手だと思っています。SNLには毎回有名ゲストがコメディーにも参加するのですが、ここで「コメディーも上手いんだ!」と思わせる役者さんと「コメディーはアカンな(大したこと無いんだな)」と思わせる人と2パターンあります。現在のジェームス・ボンド役のダニエル・クレイグは本当に面白くなかったし、優等生アン・ハサウェイは結構面白くて「コメディーも出来るとか優等生すぎるだろう!(優等生すぎて嫌われちゃうとか可哀相すぎて私にはすごく面白い)」と思いました。でも最強は「歌えて、演技も出来て、コメディーも出来る」オールマイティーなスターです。それがジャスティン・ティンバーレイク!彼はSNLの殿堂入りに仲間入りしましたが、コメディアンのアンディ・サムバーク(The Lonely islandというクオリティーの高いフザケタかつ下品な歌を歌う音楽ユニットを番組ないで結成し、2枚もアルバムを販売するわ、ビルボードでも初登場3位になるとかスゴい人気でしたよ〜)と一緒にコンビを組んで発表した下品な歌「Dick in the box(箱入りチ○コ)」で全米を湧かせたのは10年前。それ以降演技力も買われ、今では俳優としても確固たる地位を築いています。

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(何故かポーランド語の字幕がある映像しか見つからなかったけれども、まあ、下ネタすぎるので英語字幕とか逆にいらないと思います!)

彼に続く実力の持ち主はブルーノ・マーズですね。本業の歌でミリオンヒットを飛ばし、毎年キャッチーな歌と斬新なファッションで素晴らしい歌を届けてくれますが彼はジャスティン・ティンバーレイク以来の逸材です。彼の出演回は何度見みても面白かった!特に「ラジオ局のインターン生」として働いている時に、「ちょっと機械の故障で放映中の音楽が消えちゃいそうだからお前が歌って誤摩化してくれ!」という無茶苦茶なフリにたいし、マイケル・ジャクソンのモノマネをしたり、ケイティー・ペリーを歌ったり、芸達者ぶりを発揮していました。

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演技と言えるのかは不明ですが、ブルーノ・マーズが生意気なティーンエイジャー女子を振り切って演じ切ったこのコントも素晴らしすぎる。普通にウケる笑

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前置きが長くなりましたが、私が熱弁したい「SNL出身のコメディアン達が俳優転向するとめっちゃ良い役者さんになる」説、お分かり頂けましたでしょうか?今回の映画は、そんなSNLでレギュラー出演者として人気を博していた二人が共演しています。ストーリーはなかなかにシビアなのですが、そんななかでも笑わせたりしてくれるシーンがあり、それが無理矢理感がなくて自然なのは演じた二人の力量ではないかと思います。

 

スケルトン・ツインズの簡単なあらすじ

さて、やっと!やっと本題に入れます。(長過ぎる前置きでしたが悔いは無い)今回のスケルトン・ツインズのストーリーはこんな感じ。

「離ればなれに暮らしていたのに同じ日に自殺未遂を起こした双子の姉弟が織り成す交流をユーモラスに描いたヒューマンドラマ。恋人と別れて自殺未遂を起こしたゲイの青年マイロ。偶然にも同じ日に自殺を考えていた二卵性双生児の姉マギーは、知らせを受けてマイロと10年ぶりの再会を果たす。これを機に故郷ニューヨークで一緒に暮らしはじめたマギーとマイロは、時にはぶつかり合いながらも姉弟の関係を築き直していく。」映画.comより

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コメディアンをキャスティングした人に一杯奢りたい!悲壮的なストーリーを強弱つけて演じるにはコメディアンが一番でした。

まずはこの映画、どうしようもないぐらいに哀しくなるキャラクター設定のポイントを挙げるだけでも、主人公の二人の生き辛さが伝わってきます。冒頭は、さあ死のうと薬を手にした姉マギーが、あと一息!という所で携帯電話の着信音に引き戻されるところから始まります。電話は病院からで、10年間音信不通となっていた弟が自殺を図って入院中だと知らされるのです。 ※このシーンではGrowing pain(痛みが育つ)というテーマの曲を流す、という皮肉をあえて演出したと監督が撮影秘話で語っていました。ものすごいセンスですよね。※

—自殺未遂を繰り返すマイロ

双子の主人公の弟マイロ(ビル・ヘイダー)は、役者になる夢をもって地元を飛び出すもLAでは役者として成功することも無く、遂には自殺未遂を測ってしまいます。そして姉のマギーに連れて帰られて戻った地元でも、また辛い出来事があるとついつい高いビルに登ってしまったりと、その行動には危うさが伴います。

—夫が居るのに浮気が辞められないマギー

一方、不安定な弟を支えようと務めて冷静で安定した姉であろうとするマギーも、内面はグチャグチャに破綻しており、愛する旦那さんがいるにもかかわらず家庭外でのふしだらなセックスを止めることが出来ません。自分の行動を恥じ、旦那に負い目も感じ、弟のマイロと同じぐらいに死にたい気持ちを持て余していました。

—絶対的不安定な時期に保護者が不在:文字通り二人きりの姉弟

この二人が作中で見せる姉弟ならではの姿に「こんなにも仲良しの姉弟なのに、どうして何年も疎遠になっていたのだろう?」と疑問がわいてきます。後半で明らかにされるマイロの過去の哀しい恋の秘密、その恋が終わるキッカケを作ったマギーの気持ち。思春期の双子に危機が訪れても、保護者が不在でした。二人が救いを求めたくても父親は他界しており、残った母親も頼りにならない。

保護者の不在がどれだけ二人の内面を複雑に、そして見えない傷を治療されぬままに残し続けたのか、不安定なまま大人になった文字通り二人きりの姉弟が、崖っぷちの一歩手前でお互いに手を伸ばす、そんな映画です。

それでも作中に散りばめられた姉弟ならではの笑いに溢れるおふざけの数々。シリアスと笑いの強弱が、ストーリーをリアルにする。

この映画はストーリーの本筋がかなりシリアスであるにもかかわらず、随所にSNLのコメディアンとしての二人の特徴を生かした笑わせてくれるシーンが満載です。特に歯医者さんでふざけ合うシーンや、自宅で口パクで歌い合うシーンは映画の本筋を忘れてしまうほどの愉快さ。

人生ってどんなに辛いことが合っても、バカみたいに笑えてしまう瞬間も同じように起こってしまう。たとえ大切なペットのネコが死んで涙をながしても、その晩テレビを見ながら笑ってしまっても彼女が心からネコの死を悲しんでいない訳じゃない。コメディアンであるからこそか、彼らが見せる人生の強弱がものすごく絶妙なバランスで描かれていました。SNLでの共演時代での信頼関係があるからか、彼らの双子としての関係性、また冗談を言い合うシーンはとても自然で見ているこちらも自然に笑ってしまいました。その分彼らが直面する人生のハードな局面で見せるシリアスで絶望した表情の落差がもの凄くて胸に突き刺さるのです。誰だって好きで悪者のような振る舞いを繰り返している訳ではないのでしょう。辞めたくても、辞められない性、根深い問題が横たわっているのです。

また笑える部分で自然と楽しそうにしている姉弟の姿を見ると「もし過去に柵が無ければ、本来はこのように平和で明るい、幸せな二人の姿があったのではないか」と思わされ、とても切ない気持ちになります。しかし迎えるラストのシーンで、過去に失ってきたものたちのかわりに、これからは二人で支え合って行ける姉弟の姿を見て、彼らの幸せを願わずにはいられなくなるのでしょう。

 

監督、主演二人がひたすらコメントしながら映画を見ることが出来るエキストラがスゴく良かった!

日本のDVDに入っているかは分からないが、ベルリンの図書館で借りた英語でのDVDには「本編映像に合わせて監督と主演二人がひたすらにコメントするモード」が収録されています。このコメントが裏話有り、また存分にコメディアン的コメントアリのめちゃくちゃに面白い話が満載でした。裏話を一部紹介致しますと。。。

—冒頭の病院でのシーンをみながら(自殺未遂をしたマイロをマギーが訪ねるシーン)

女優「私達、お互いにそれぞれ画面の端と端に寄って映り込んでいるわね」

監督「そうだよ!実はそういう風に演出したんだ。10年間会うことも無かった姉弟達だから、心理的な距離感を表したくて、君たちが出来るだけ画面の端に行くようにしていたんだ。その後にもっと画面上でも、心理面でも近づいて行けるようにね。」

女優「へー!そうだったんだ〜」

約2時間の映画を観ながら、ひたすら喋り続ける(きっと台本無しでしょうし)ポテンシャルがすごいですよね。しかも聞いていてひたすら面白いんですよ。流石アメリカ合衆国というスターばかりがゴロゴロいる国でトップを走っているコメディアンのお二人。アドリブで喋っても笑わせることも話に引き込ませることもできるのでしょうね。ものすごく面白かったです。(めっちゃシリアスなシーンなのに「あー、私このカーテン好きだわ〜」とか言っちゃうラフな感じ。)字幕でも良いから日本のDVDにも収録されていることを祈ります。

 

主演以外の役者さん達も素敵すぎるのです。セクシーなBoydに深みのTy、そして憎めないLuke!映画をよりカラフルにしています。

Boyd Holbrookと言う役者さん、クッソイケメンのクッソにめっちゃアクセントつけたいぐらいのイケメンです。この役者さん、オーストラリア出身でもないのに「スキューバダイビングのインストラクターなら、オーストラリア訛もあってもいいかもね」というアイディアで、ここまで完璧にそしてセクシーにオーストラリア訛のハスキーボイスで人妻を誘惑する役柄を演じています。首筋のタトューがセクシーすぎて呼吸困難になります。相手役の女優さんも監督も「彼は素晴らしい役者だ」と絶賛していました。

Ty リッチと言うマイロと過去に関係を持った教師役を演じた役者。モダン・ファミリーというアメリカで親しまれていたドラマで父親役を演じていた役者さんです。そのイメージもある彼が「15歳の男子生徒に手を出して教職を去る」という役柄を演じるのですが、この役者さんであったからこそトラウマのモンスターにもなりえる役柄に葛藤や人間味を与えることが出来たと監督が語っていました。

そしてマギーの旦那役を演じたLuke Willsonルーク・ウィルソンこそ、この映画の宝!変な五本指の靴はいてるし、奥さんが浮気を後悔して風呂で死にそうな顔している時に「ねえ、ピザポケットまだあったっけ?」って暢気な質問してくるし、とにかく無害なんですよ。シンプルでひらすらに優しい。男らしいけども、子供みたいに素直で可愛い。裏切る行為を繰り返しながらも夫に愛していると伝えるマギーに対して少し照れながら「俺も愛しているよ」とアイスを頬張りながら答える彼を見たら、誰もが一家に一人、LUKEがいて欲しいと思うでしょう。この映画ではとにかく何かを食べているシーンが多かったルーク。監督さんも「とりあえずモチャモチャ食っとるよな」って自分で演出しておきながらコメントしておりました。

 

日本では劇場公開されなかった映画とのことですが、もしSNLファンの方がいらっしゃいましたら強くお薦めしたい映画です。大きなハプニングも無ければ、派手なストーリーも無い。言ってしまえば少し問題がある家族の日常を描いた映画、それだけかもしれません。でも、コメディアンがコメディアンとしての良さを発揮しながらもシリアスな演技までこなした、実力を充分にみるにはピッタリな映画です。ビル・ヘイダー好きな私にはこの映画の他にも「Dating Queen」(邦題:エイミー!エイミー!エイミー!こじらせシングルライフの抜け出し方!)というSNL出身女優エイミー・シューマーと共演した映画も見てみましたが、やっぱりこちらも面白かったです。こちらも日本劇場未公開作品なので、また時間があれば紹介したいですね。では、TSUTAYAとかで探してみて下さい〜

ドイツで就職すると「教会税」を払うことになりました。自己申告制ですが、毎月10ユーロぐらいは税金で引かれています。

はい、今日は給料明細の話を。もう「何でこんなに手取りが少ないの−!?」と哀しくなるので、どんな税金をどれだけ払っているのかをお話ししたいと思いまして。今日は特にドイツ人からも「え、ちゃんと申告して教会税納めているの?」と驚かれている教会税について書いて行きたいと思います。 

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教会税は自己申告制?

まずこの部分ですが、基本的には自己申告制みたいですよ。私は会社との契約を交わす際に「子供はいますか?」「配偶者はいますか?」「貴方の宗教は何ですか?」みたいに税金率を決める為のチェック項目で、宗教の部分は「キリスト教徒(カトリック)」を選んで記入しました。これ、よく分かっていなかったのですがキリスト教徒である場合、毎月の給料から小額ではありますが10ユーロぐらいは教会税として引かれて行きます。

私の会社では信仰深い人は少なく、なんと会社で教会税を納めている人は数える程度のよう。同僚の日本人女性はもちろんキリスト教徒ではないので納めておりませんし、なんだったらキリスト教徒であるはずのスペイン人も「気持ちの問題」として契約時にはキリスト教徒として申請していませんでした。まあ、信仰は個人の選択ですので、会話の端々からキリスト教的な教養を感じたとしてもご自身がキリスト教徒と認識していないとすれば、別に申告していなくても良いみたいです。私は長年キリスト教徒と自覚して生きてきたし、キリスト教徒であることで心の拠り所にもなっていたので毎月10ユーロであれば払って行こうと納得しております。

 

ドイツ人はキリスト教徒?

宗教革命で現在のプロテスタントの流れを作った有名なマーティン・ルター牧師はドイツ出身。よってドイツでは当たり前にプロテスタントの教会が主流のようです。(ざっくり説明すると伝統的な宗派であるカトリックと、カトリックの信仰の仕方に問題があるとして新しく聖書に重きを置いて信仰して行く宗派がプロテスタント)でもカトリック系の教会もちゃんとあって、私は毎週フンボルト大学近くの聖ヘドウィグ大聖堂に通っております。

ドイツ人はやはり現実的と言いますが、そこまで敬虔な信者は少ない印象です。友人達も教会に関して何か積極的な話をする人はいないし、そもそも神を信仰しているかどうか。。。「クリスマスぐらいは家族で教会に行くけど、それ以外で教会に行くことはほぼ無い」とか、ここの辺りは「お葬式だけ仏教」スタイルの方が多い日本人の感覚と似ている気がします。しかしあえて自身をカテゴライズをするのであれば一応は「キリスト教徒」に分類するし、親の影響で子供の頃にキリスト教徒として登録されている、という人もいるとのこと。

 

キリスト教徒であることを止めると教会税は払い戻される。

ちょうど友人と教会税の話をしていたとき、彼女は「私はもう教会に行ってないし、キリスト教徒としての籍を教会から抜いたから教会税は払わなくていいはず。でも毎月の税金で未だに教会税も引かれているから、年末の確定申告で教会から貰った除籍の書類を提出して払い戻しをしてもらうわ〜」という話を教えてくれました。このように日本では自営業者が主にする手続きと言う印象がある年末の確定申告ですが、ドイツではドイツ国籍や移民関係なく、結構皆がきっちり確定申告を行い、払いすぎた税金や間違っている部分は払い戻しの申請をしています。教会から除籍の書類があるのもプラクティカルでドイツっぽいなあと思います。(日本でも一応所属教会のシステムはありますが、教会税という行政が絡む形での集金はありませんでした。)

 

教会税を納めないデメリットはあるのか?

キリスト教徒でなければ何も問題が無いように思える「教会税」のシステム。またキリスト教徒であったとしても年間120ユーロほどになりますし、出来れば払いたくないからと教会には通ったとしても信者としての申告はしない人もいるかもしれません。同僚で同じキリスト教徒であるドイツ人女性に質問したところ「教会税を払っていない人は、教会で結婚式を挙げることは出来ない」というポイントを教えてもらいました。日本では西洋文化からの影響でいつからか教会での、もしくはチャペルと言った教会風なところで神父風なよく分からない人の前で結婚の誓いを交わすことが人気ですが、ここドイツではキリスト教徒以外の人は教会での結婚式は行うことが出来ません。もし信仰心があり、将来的には教会で結婚式を挙げたい人は一度考えるポイントかもしれません。今のところ知っているデメリットはコレぐらいですが、もしかすると教会に置ける物事で不都合が出てくるのかもしれませんね。もっと和語っときに追記します。

 

教会税を納めていくことに関して

私にとって「教会に行く」という行為は「祈り時間」という意味合いよりも、「一時間安らかな場所で静かに物思いにふける」というメディテーション的な作用が大きく、毎週日曜日に約一時間まだあまり分かりもしないドイツ語のミサに出席しながら「今週はコレとアレがあるから、そろそろ準備しよう。」とか、「先週のこの問題がどうしても引っかかっているけれども、そもそも私が本当に悪かったのか?」と現在過去未来の色々なことに考えを巡らせています。海外で暮らして行く中で、このように自己を振り返る時間って結構大切で、ミサ中は無理矢理にでも一時間座っている訳ですから、その一時間だけは色々と考えることが出来て嫌でも何らかの気持ちの整理が付く訳です。「教会にちゃんと通うと調子が良くなる」と私はたまに発言するのですが、それは神様のスーパーパワーに守られている!とかいう超常現象でも何でもなく、ただ単純に自分のメンタルのメンテナンスが出来る、ということです。一時間のメディテーションの場として教会ほど安心する場所は無いですし、また世界各国どんな町にもありますので、何処に出掛けても心が安らぐ場所があるということは私に取って非常に有り難いことです。今まで世界中の教会を訪ね、少しばかりの寄付を重ねてきましたが、本当に老朽化して行く教会などに大きく寄与することは出来ませんでした。先人の方々の素晴らしい教会美術や建築をいつも鑑賞し、時には素晴らしいパイプオルガンの演奏に感銘を受けてきたので、今後のメンテナンスや教会の修繕の為に僅かながら貢献出来ることは自分としても喜びを感じます。だから私は教会税は納めますし、またコレからも日曜日ぐらいはちゃんと通って行きたいと思っています。

 

一番大切なお祈り「主の祈り」

実は私、4カ国語で「主の祈り」が唱えられるという特技があるのですが、これをなかなか披露する機会は無い。ここまで読んで頂いた人は「教会の祈りってどんな感じ?」と興味を持ってくれているかもしれないので、最後に4カ国語で「主の祈り」をご紹介して終わります。この祈りはミサの最中に必ず全員で復唱する場面があるので、コレだけはドイツ語でも英語でもスペイン語でも言えると、その地の教会で地元の方と一体感を感じられるので頑張って覚えました。たとえメディテーションとして座っていても、もちろんお祈りもしますので、「今日も日本の家族が平和でありますように」とか「今度結婚する友人がいつまでも幸せでありますように」とか、そのようなお祈りの前後にこの祈りを唱えたりもします。もし海外のどこかで教会に行く機会がある人は是非挑戦してみて下さい。一緒に唱えられると参加出来たな〜って自己満足出来ます。

 

主の祈り(日本語)

天にまします我らの父よ

願わくは
み名の尊まれんことを

み国の来たらんことを


み旨の天に行わるる如く地にも行われんことを


我らの日用の糧を今日我らに与え給え


我らが人に許す如く我らの罪を許し給え


我らを誘惑に陥らせず


我らを惡より救い給え

 

Our Father(英語

Our Father, Who art in heaven


Hallowed be Thy Name;
Thy kingdom come,


Thy will be done,
on earth as it is in heaven.


Give us this day our daily bread,


and forgive us our trespasses,
as we forgive those who trespass against us;


and lead us not into temptation,
b

ut deliver us from evil. Amen.

 

Padre nuestro(スペイン語)

Padre nuestro, que estás en los Cielos,

santificado sea tu nombre, venga tu Reino,

hágase tu voluntad así en la tierra como en el cielo.

y perdónanos nuestras deudas

así como nosotros perdonamos a nuestros deudores,

y no nos dejes caer en la tentación,

mas líbranos del mal.

 

Vaterunser (ドイツ語)

Vater unser im Himmel,
geheiligt werde dein Name.


Dein Reich komme.
Dein Wille geschehe,
wie im Himmel so auf Erden.


Unser tägliches Brot gib uns heute.


Und vergib uns unsere Schuld,
wie auch wir vergeben unsern Schuldigern.


Und führe uns nicht in Versuchung,
sondern erlöse uns von dem Bösen.


Denn dein ist das Reich und die Kraft
und die Herrlichkeit in Ewigkeit.


「ゴースト・イン・ザ・シェル」におけるホワイト・ウォッシュ問題はアメリカ人のポリティカル・コレクトからくる杞憂にすぎない。普通に優等生な実写化映画!

やっと見てきました!『ゴースト・イン・ザ・シェル』を3Dで!

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CG満載の映像美は3Dで鑑賞することで更に際立って素晴らしいので、追加料金を気にしない人は是非3Dで鑑賞されることをお勧めします!紀里谷監督のCGてんこ盛り『キャシャーン』とか大好きな人はより一層楽しめるバーチャルな映画だと思います。私は紀里谷監督のゴリゴリCG満載映画大好き!だから前作ハリウッドデビュー作はちょっと物足りなかったよ!って早速脱線ね。

超3D!って感じの空を飛んだり画面から何かが飛だりしてきたりと言う、いわゆる3D効果を多用した演出とかはそこまでないので、3Dで酔い易い単純な私には有り難い。3Dの先駆け「アバター」見た時は具合悪いわ、酔っちゃうわで大変でした。映像美にそこまでこだわらないのであれば2Dでも充分に楽しい映画だと思います。

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見て!この予告編!すっごくワクワクしませんか!?押井守監督版のアニメ映画を観て衝撃を受けたファンの皆さんには「あのシーン!」と思い出すような場面が満載です。

 

興行収入的には厳しいらしい「ゴースト・イン・ザ・シェル」

いきなり不穏な一文から始めますが、この映画、お金かかっている割りには思ったほど興行収入は宜しくないらしいです。宇野維正さんの「興行ランキング一刀両断!」という記事によると、日本での初動は初登場3位、本国アメリカでも初登場3位。制作費とマーケティングコストで275億以上かかっていると言われている中で、公開時点で少なくとも約66億円もの赤字に見舞われるというのだから映画製作って本当に怖いですね。

細かい事情は宇野さん記事(※初登場三位『ゴースト・イン・ザ・シェル』、「母国」日本での興行を世界はどう見た?)で詳しく読んで頂きたいのですが、この映画が不振に終わった原因として、公開前にアメリカ国内でホワイト・ウォッシュ問題が取りざたされたためであると指摘されています。 宇野さんの記事↓

初登場3位『ゴースト・イン・ザ・シェル』、「母国」日本での興行を世界はどう見た? | Real Sound|リアルサウンド 映画部

 

ハリウッド映画で見られるホワイト・ウォッシュ問題とは?

簡単に言えば、原作では日本人が主人公となっているのに、主人公の女優に日本人を使わずに白人であるスカーレット・ヨハンソンを起用している点が問題だと言われているようです。確かにこの映画の主人公「草薙素子」は日本人ですので、そこを白人のスカーレット・ヨハンソンが演じることは「人種設定をねじ曲げてまで何でも白人が中心になろうとする、白人優位主義の表れだ!」みたいに

批判されてしまうのも分からなくもないですね。面白いのは、先ほど紹介した宇野さんの記事では日本人側の意見も紹介していて、日本人はこの件に関して「アジアの他の国の俳優が日本人の役をやるくらいだったら、まだ白人に日本人の役をやってもらった方がマシ」という意見を述べていて、ホワイト・ウォッシュ問題を先導しているのは誰か?と考えて行くと「より正しくあろう」とする偽善的な意識高い系のアメリカ人が自発的に産み出した問題、と言えなくもない気がします。(根本は間違ってはいないので、強くは主張出来ませんが。)このように「人種差別にならないように」と過度に「正しくあろう」とする姿勢をポリティカル・コレクトと言って、人種問題だけではなくセクシャル・マイノリティー問題など、ナイーブな問題全てに対して過度に「差別的になる発言はしない」という意識が働いているようです。

 

私が経験したポリティカル・コレクト「アジア訛の英語」

思えば、ベルリンに来てからアルメニア人の友人とふざけ合って「マザファカー」とアジア訛の汚い英単語を言い合う、というなんとも程度の低いコミュニケーションを取っていた時期があったのですが、(書いている私自身が恥ずかしいです。)コレを見聞きしたアメリカ人の別の友人が本気で怒りまして、アルメニア人の友人が呼び出されて怒られた、という出来事がありました。正直、私は結構英語が得意でして、あんまり日本人的な訛はありません。どっちかというとアメリカの西海岸訛の英語を習得しています。アルメニア人の友人とは「ハングオーバー」という映画に出てくる「チャン」というアジア人の傍若無人キャラのモノマネをしておりまして、彼のアジア訛(これこそ映画用にわざと作られていた訛ですが)をマネして、映画のキャラクターごっこをしていただけなのですが、アメリカ人の友人は「彼女のアジア訛をバカにするな」と言って怒った訳です。なんだったらアルメニア人の軽くイタリアっぽい訛が入った英語だって面白いもんですよ。私達は好きな映画のキャラの傍若無人な決め台詞を気に入って、互いにふざけ合っていただけのようなもの。でもアメリカ人の彼からすれば「人種差別的」だと受け取れたのでしょうね。この件、すごく揉めました。アメリカ人の友人は正しいことを言っていると信じているから怒り続けるし、アルメニア人の友人は訳が分からんと怒り返す、私としては有り難くも勘違いだから何とか両者をなだめたい。結果、両者が絶交して終わりました。まあ、他にも問題があったアルメニア人の彼は私からも離れて行きましたが、この騒動を見ていたポルトガル人は「気にするな、アメリカ人だからさ」と納得しており、「それにしても下らない!」と笑い転げてくれました。私が個人的に経験したアメリカ人のポリティカル・コレクト。確かに正しいのだけれども「当事者以上に彼らが熱くなっている」という傾向はあるなあ、と感じました。

 

そもそも「ゴースト・イン・ザ・シェル」にホワイト・ウォッシュ問題は存在していない。

はい、コノ流れでやっと本題に入れますが、実際に映画をまっさらな視点で鑑賞すると、「え?別に白人で良くない?」と問題点自体が見えてきません。だって主人公の「少佐」あるいは「草薙素子」は言ってしまえば機械人間。脳みそと脊髄の一部だけを機械に移植した生命体なのです。よって、精神(映画ではたびたびゴーストと呼ばれていましたが)を除いて、視覚に見える物体はすべて会社から与えられたロボット、擬態の部分です。だから脳みその持ち主が日本人であれ、この際ヒスパニックであれ、擬態のボディーデザインが白人であったとすれば、それをスカーレット・ヨハンソンが演じてもなんら不思議は無い訳で。もう黒人だったり、アーモンド肌のフィリピ—ナでもアリっちゃ、アリ。ただ原作のビジュアルから離れすぎてしまうので、ギリギリ白人までなら許容範囲というだけだと思うのです。何より、擬態製造会社の社長や彼女を作り上げた博士が白人ですから、この点から見ても「擬態のボディーは白人デザインで用意された」と考えれば、アジア人の素子の脳みそが、白人のボディーに入っているだけなので、スカーレット・ヨハンソンが演じてもあまり違和感は無い訳です。アジア人のボディーでももちろんおかしくはないのだけれど、わざわざ白人の博士がアジア人のボディーをデザインするかと考えたら難しい話なので、やっぱり博士は自分に似せたボディーデザイン、つまり白人のボディーを用意すると思われます。この時点で白人ボディーは自然な流れですね。

さらに、この映画の世界観は独特であり、舞台は東京と上海(というかブレードランナー的近未来感と九龍城の退廃的な雰囲気がありました)を混ぜ合わせたようなアジアベースの近未来ですが、国籍はアジアに限らず全人種が生活する多国籍な社会でした。映画の途中で素子の母親とされる日本人らしき女性が登場しますが、彼女が母親だとしても父親も同じ日本人とは限らないし、素子が生粋の日本人かも分からない。「ゴースト・イン・ザ・シェル」の世界観からすれば、主人公の人種などはあまり関係がないと思われるのです。だからこそ、「ホワイト・ウォッシュだ!」と騒ぐほど、主人公のボディーが日本人であるべきだとは思えないし、やっぱり日本人である私も主人公がスカーレット・ヨハンソンであることに違和感はありません。これも「当事者以上にアメリカ人が熱くなっている」と思ってしまうのは私だけでしょうか?

更に面白い記事を見つけてしまったのですが、なんと押井守監督自身までもが「アジア人の女性が演じなければいけないと言う主張に根拠は無い」とインタービューで発言しています。だって「少佐はサイボーグであり、彼女の身体は完全に仮装のもの」であるから。私が素直に映画から感じたままの受け止め方で間違っていなかったようです。詳しく監督のインタビューが読みたい方はこちらからどうぞ!

実写版「ゴースト・イン・ザ・シェル」に対する押井守監督のインタビュー

 

そもそもスカーレット・ヨハンソンじゃないとCGに負けてしまうよ。スカヨハを押しのけて主役をはれる日本人女優っている?

もう、ハッキリ書いちゃいましたが、これ。日本人女優で草薙素子を演じきれる国際派女優さんっていらっしゃいますか?ギリギリ引っ張りだしてきて「キル・ビル」の実績がある栗山千明さんでしょうか?でも彼女の和顔すぎる絵面だと、あのCGバリバリの世界感の中では逆に背景のアジア演出の一部みたいになってしまう気が。あの演出の中に和顔は埋もれてしまう気がしました。ここはCGにも負けないぐらいに普通に美人で、理想的に美人すぎて逆に本人自身もCGっぽいスカーレット・ヨハンソンがピッタリであったと思います。顔と雰囲気だけで言ったら、吉瀬美智子さんとかだと程よく洋風っぽい顔立ちなので、アジアの世界観とCGにも負けない美人さと思うのですが、如何せん国際派女優さんかは分からないし。最近の国際的な賞を取った女優さんとして二階堂ふみさんを持ち出したら「地獄でなぜ悪い」状態で収拾がつかないし、「バベル」で懐かしい菊池凛子さんを持ち出すとなんか肌色多めのシーンが卑猥に見えてくる気が。こう考えると、肌色が多いシーンでも何となく健康的な雰囲気も残し、かつ全体的にCGの過剰演出にも埋もれない存在感を出すスカーレット・ヨハンソンは希有な存在かつ適役であったように思えます。日本人女優さんにも素晴らしい人は多いのですが、たまたま今回の配役に適した人がいなかっただけとも思われます。(一瞬アクションつながりで黒木メイサさんを思い出しましたが、うーん、やっぱり違う気がする。誰か思いついたら教えて下さい。)実際に日本人らしい配役が求められているシーンでは日本人が採用されていましたし、ぶっちゃけ母親役は桃井かおりさんでめちゃくちゃ良かったですよ。すごく健気で良いお母さんでした。

 

原作への愛情とリスペクトが多分に感じられる実写映画、予想よりも3倍良かった!


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ここでもう一度映画の一部を見てみましょう。これは「ここまで見せちゃっていいの!?」と思うぐらいに5分間も一気に最初のワンシーンを見せてくれる特別映像。アニメ版でも描かれていた少佐が単独で突入する戦闘シーン。CG満載の独特な世界観が描き出され、ここまで原作の雰囲気を引き継いでくれるのかとワクワクさせてくれる映像です。

正直、ここまで素敵な予告編や特典映像を見ていても、まだまだ期待値はあまり高くはありませんでした。鑑賞前は「原作の映画が良すぎた」という感想を抱いてしまってもしょうがないと思っていました。予想以上に良かった場合でも「意外と面白かったね!」ぐらいになるかと思っていて、まさか「もう一度劇場で見ても良いな」と思わされるとは予想だにしておりませんでした。つまり、予想の3倍よかったです。そもそも実写映画は「原作より良い映画になることは無い」と皆さん期待値低めに映画館に行く訳です。そして大抵が「やっぱり原作の方が素晴らしかった」とガッカリしてしまうのです。が、この映画は原作で一番好きであった「笑い男との水辺の決闘シーン」を素晴らしく表現し切ったと同時に、「この機械仕掛けの身体で息づく私の精神は、本当に私自身なのか?」という原作の深いテーマである「ゴースト」の部分をきちんと描いていました。もちろん映画としてのオリジナルのストーリー構成はあるし、「なんでもアジアだからって芸者使うなや!」という安直な東京アジア演出に目くじらを立てたくなる人もいるかと思うのですが、そこはアジアと言う記号の一部にすぎないから。映画の根本的なメッセージと、世界観は描き切っていたと思うのです。

押井守監督の「ゴースト・イン・ザ・シェル」が大好きすぎたウシャウスキー兄弟はマトリックスという映画を監督する時に多分にその表現をパクった、もといオマージュに使いました。有名すぎる緑のコード標記、数字の羅列や、またマシンガンから逃れる為に逃げ込んだコンクリートの柱がボコボコになるシーン。これらのシーンは今回の実写映画ではあまり引き継がれてはいませんでした。でも音楽はそのまま引き継がれていましたし、雑踏から聞こえる会話が日本語であったり、随所で日本の原作への敬意を表しているように感じたのは私だけでしょうか?

 

日本人俳優、北野武はどうだったの?実は桃井かおりも出てます。

特に重要な役柄で北野武が出演していましたが、これは間違っても「日本市場でのマーケティング効果を狙ってとりあえず日本人出しときました!」的な扱いではなく、(「バイオハザード」のローラの扱いはヒドかったみたいですね。)ちゃんと北野武であるべき役柄でしたし、存在感もありました。北野武だけ終始日本語で台詞を言い続けるのですが、近未来ですし、瞬時に翻訳されていると思えば若干の違和感もクリア。(組織のボスが変な英語を無理に話していた方が違和感でちゃうし。)またアジア間を出す演出の一つとしても受け入れられます。彼のネームバリューと何とも言えない「ヤクザ感」は貫禄があって、公安九課のボスとしては適役であったのではないでしょうか?この辺り、ちゃんと考えられた配役だと思いますし、原作に恥じない映画にしようと言う想いはスゴく感じました。

また「女性科学者役は桃井かおりさんとか、日本人女優さんでも良かったかもなー」と勝手に思っていましたら、なんと母親役で登場!普段の「どこか裏に企みを隠し持っている怖い女性」という普段のイメージとは雰囲気をがらりと変え、少し弱々しくも気丈にふるまう愛情のある母親を好演していました。ハリウッド映画では「SAYURI」でも出演している桃井かおり。今回のキャスティングはある程度のネームバリューがある日本人俳優だけが起用され、起用されたらちゃんと重要なポイントで出演していたと思います。(そう考えると日本市場でのマーケティング戦略の為だけにちょっとだけ出演させるバイオハザードの戦法は好きじゃないですね。)

 

コレだけは突っ込みたい、言っておきたい雑言ラスト4つ。

①既視感のあるバトル演出「ハンガーゲームなの?」

どうしても気になってしまったのはラストの書くションシーン、スパイダータンク(蜘蛛型戦車)の操縦の仕方。バーチャルフィールドに手を突っ込んで遠隔操作するシーン、もうハンガーゲームのゲームメーカーにしか見えなかったです。この映画のCG担当にハンガーゲームのスタッフさんもいたのかな?と思っちゃった。

②テロリストがやたらと美形なんですが、この俳優さん誰!?

半身が吹き飛ぼうが、顔が崩れようが、ビックリするぐらい呆気なく弱かろうが、この俳優さんがやたらと美形すぎてナイスキャスティングでした。スカヨハの美人具合に負けてないんです。近未来の中でも新人類的な二人が並ぶシーン、造形が綺麗すぎて確かに作り物っぽかった、それがやけに痛々しいし美しくて良かったんです。調べてみるとこの俳優さんはMichel Pittって、え?「ヘドウィグ・アンド・ザ・アングリーインチ」でヘドウィグをボロボロにしちゃう青年トミー・ノーシス役を演じたあの少年!?嘘おー!当時はあんまり好きじゃなかったのに、映画によって見方が変わるマジックですね。なんといっても目が綺麗すぎました。彼がカート・コバーンを演じた映画もあるようで、DVD探して来よう。

③「ハイテク技術の未来世界なのに全然ワイアレスじゃない。」

これは私個人の感想ではなく、一緒に押井守監督版のアニメ映画を観ていた時に友人が言った意見なのですが、ごもっとも。彼はモーションデザインアーティストなので、技術面がすごく気になったみたい。現代社会では如何にワイアレスで機械を操作して行くか、ここがポイントになっていますが、映画では未だにキーボードを使っていたり、芸者ロボットを調べる時にわざわざ自分とロボットをコードで繋いだり確かに未来世界としては「過去から見た未来」ですね。20年前では新しかった技術も現代の徹底したワイアレスの未来は読み切れなかったと言うことでしょう。もしかすると実写化の映画では修正してくるかとも思いましたが、ここの設定は変更無し。原作に忠実でも、このようなポイントは修正してくれても良かったかもしれません。

④スカーレット・ヨハンソンの走り方がどうしても訓練された兵士にはみえない

最後にして最大のディスですが、スカヨハにアクションってどうなんでしょうかね?スカーレット・ヨハンソンのアクション映画と言えば記憶に新しいのが「LUCY」で、リュック・ベッソン監督もゴリゴリにCGを使いながらスカヨハにコレでもかとアクションをさせていました。今回の映画でもスカヨハは存分に華麗なるアクションシーンを見せてくれるのですが、あんまり戦闘訓練を受けた人っぽくないんです。何か、走り方がボテボテしている。ロボットだから身体が重いのかな?とても俊敏には見えない感じだったのが唯一残念でした。兵士っぽさがあんまり感じされなかったんです。全て「サイボーグ兵士ですから!チート的に無敵なんです!」と押し通すならそれでいいですけども、「モンスター」という映画の殺人鬼役でボロクソに不細工な中年女性を演じた美人女優シャリーズ・セロンが見せた女優魂ぐらいに、スカヨハが戦闘トレーニングしてくれていたらもっともっと素晴らしかった気がするのは私だけでしょうか?「LUCY」といい、スカーレット・ヨハンソンにアクションってあんまり合っていない気がしました。スカヨハで一番好きな映画は「マッチポイント」でも「ロスト・イン・トランスレーション」でもなく、マイナーだけども「真珠の耳飾りの少女」です。画家に翻弄される無垢な美少女役がほんのり色気がにじみでていて最高に綺麗でした。フェルメール役がコリン・ファースと言う素敵具合!ゴリゴリのCGのスカヨハで食あたりした人は、この映画でナチュラルなスカヨハの美しさを味わってきたら良いと思います。

 

やっぱり見返したくなる押井守監督版アニメ映画「攻殻機動隊 ゴースト・イン・ザ・シェル」

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何はともあれ、すごくエンターテインメイトで押井守監督版の「ゴースト・イン・ザ・シェル」が好きな人には満足出来る内容だったので、遥かベルリンから強くお勧めしたい映画でした。この映画の公開が近づいてからは図書館から押井守監督系のDVDが全部消えました。。。ベルリンでは押井守監督作品が再熱している気がします! 私がすっごく見たいのは相棒のバトーのストーリーとなる「イノセント」という映画です。これもDVDが消えていました。うーん、禁じ手「図書館の予約サービス」に手を出す日が来たのか。。。

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ちなみにまだ原作の漫画は読めてません!私のお気に入りのベルリンの図書館にも置いていないので、ドイツ語版で所有しているポリティカルコレクトを実体験させてくれたアメリカ人の友達から貸してもらおうと思います!何はともあれ彼はめっちゃ良いヤツなんだよ!そこは間違いない。

 

 

 

公開前夜!続編T2: Trainspottingはキャラクターと一緒に20年間キッチリ年を取った大人が楽しむ「同窓会的な映画」で、正直な話、27歳には味わいきれない時の流れがある。

 

 

 

誰が誰だか分かりますか?20年の時の流れを感じます。

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40歳以下の鑑賞者は蚊帳の外だと感じるかもしれない。

 

タイトルからしてテンション低めですが、20年越しの続編だし!あのトレインスポッティングのオリジナルキャストが再集結だし!監督もちゃんとダニー・ボイルだし!みたいに期待しすぎていたので、前作のような「うげえ!」「狂ってる!」「めっちゃドラッグ!」なトレインスポッティング感のある続編を期待していた私には、正直「汚いオッさん達の壮大な同窓会やなあ〜」ぐらいの印象しか受けませんでした。が、それもそのはず、私は結局蚊帳の外の人間だったのだから。27歳の公開当時子供であった人間には、この映画の20年越しの意味を味わい尽くすことは無理です。この映画は公開当時1996年にレントン達と同じように20歳前後で、若さを爆発させながら鬱鬱とした日々なんかも過ごしちゃっていた人達が、レントン達と同じように年を取ってから鑑賞し、キャラクター達の「20年越しの同窓会」に参加している気分になれる映画であり、それこそがこの続編の醍醐味だと思うのです。映画として見るだけでは「前作ありきの続編すぎて新しさがあまり無いなあ」と、すごい薄味な感想を抱いてしまいかねません。だって私が今やっと、1996年当時のレントン達と同じ年齢になったのだから。私はオッチャン達に1996年当時と同じハチャメチャを期待していたのだけど、それはもう1996年で済んでいた話で、この映画はまさに「20年の年を重ねたトレインスポッティング」でした。(そのまんまやん)

※下記、ちょっとだけ演出に触れるネタバレもありますが、物語の核心には一切触れないので鑑賞前に読まれても大丈夫だと思います。

 

嘘も見栄も無い、現実的な20年の月日が経ったトレインスポッティング

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ストーリー

「大金を持ち逃げしたマーク・レントンが、20年ぶりにオランダからエジンバラに舞い戻ってきた。表向きはパブを経営しながら、売春やゆすりを稼業とするシック・ボーイ、家族に愛想を尽かされ、孤独に絶望しているスパッド、刑務所に服役中のベグビー。物分かりのよい大人にはなれず、すさんだ人生を疾走するレントンたちが再会する」

映画.comより → http://eiga.com/news/20170119/3/

 

ストーリーや予告編からは「なんかやらかしてくれそうな感じがするな!」って雰囲気なのですが、主人公達はもう40歳をとうに過ぎたオッチャン達なんですよ。もうカッコいいレントンはいないし、何だったら身体のラインもたるんでいる訳です。すごく残酷なぐらい、やたらと後頭部のショットも映し出すし、(あの女子が抱かれたい男NO.1だったシックボーイだって禿げてきている!)20年経てば現実的に身体的な衰えが出るんです。そこを嘘も見栄も無く描いているダニー・ボイル監督、彼が作りたかった続編は前作からキチンと一緒に年を取っています。一番クレイジーでバイオレンスなキャラクターのベグビーの年齢を感じさせるポイントなんて痛烈ですね。年を取って夜の生活が不自由なっちゃっているんです。バイアグラに飛びついてしまうし、ガブ飲みしちゃう。スパッドなんて20代はファンキーな若者でも、40歳過ぎても同じテンションとか、ドン引き。もう憐れにすら見えてしまいます。

公開当時にこの映画を観て一緒に年を取った人達は、もうこの時点で「俺も年取ったな。」と自分の20年間を振り返り、キャラクターに自己を投影して行くのです。そして観賞後には壮大な同窓会に参加したような清々しさと、20年間の生活や想いを含めて映画を鑑賞出来た満足感に浸ることが出来るのでしょう。一方、物心ついてから「映画好きならコノ映画は見とかなきゃ!」見たいなノリでトレインスポッティングを見て、「レントンみたいに若い時に無茶してるのって何となく憧れてしまうなあ」みたいに今から成長する自分をレントン達に重ねていた世代の人達は、年を取ったレントン達の姿は「うわ、ウチのオヤジと一緒やんけ!」と現実の厳しさにガックリきてしまいます。この世代は続編にも前作同様の「ハチャメチャでクールでドラッグ」な映像を求めてしまっているので、オッさんたちの同窓会映画を見せられても消化不十分だし、「前作ありきの続編過ぎてものたりない」と感じてしまうのではないでしょうか。私と一緒に鑑賞した友人もこの世代なので、「トレインスポッティング的な要素が少なかったねえ。ちょっと期待しすぎちゃっていた。」との感想を洩らしていました。40歳以下の鑑賞者は20年間の時の流れを自分のように感じることが難しいので、この映画の一番美味しい部分からは蚊帳の外、味わうことが出来ずに映画館を去ってしまう可能性が大です。

 

エキセントリックでノスタルジックな過去を振り返りながらバイオレントな同窓会が繰り広げられます。

とはいえ、40歳以下であっても前作のファンであれば充分に楽しむことが出来る部分も豊富であり「トレインスポッティングファン楽しむ為の長い長いプロローグ」だと思えば、20年間という時の流れへの自己投影など無視して、純粋にコノ映画を楽しむことが出来ます。コノ作品はもう前作ありき、前作とのつながりを強調しまくった映画なので「あ!このシーンは!」と前作とオーバーラップさせた演出にはニヤニヤすることでしょう。クラブのトイレがクッソ汚いとか、またレントンが走って逃げるとか、前作を見直してから鑑賞すると発見が多くてより楽しめると思います。

 

20年間一緒に年を重ねて来れなかった(つまり公開当時まだまだ子供だった)者からの僻的、モヤモヤ、残念ポイントを無駄に吐き出す。

この映画がトレインスポッティングファンの為の素晴らしい作品であることには異論は無いのですが、次の3点に関してはモヤモヤしました。

① 何で名前が本名ベースになっちゃったんだろう?キャラが普通の人になっちゃった。

前作のトレインスポッティングでは金髪のイケメンはSick boyシックボーイで、主人公のユアン・マクレガーはレントンと呼ばれていました。でも続編では終始シックボーイは Simonサイモンと呼ばれ、レントンにいたっては Mark マークと呼ばれます。なんで?オッさんになったから?金を持ち逃げしたりされたりして、もう友達でもないからニックネームでは呼ばないの?シックボーイとか、あの独特な呼び方にキャラクターの個性が染み込んでいたように思われるので、呼び方が微妙に変わってしまっていたことに寂しさを感じました。ここも20年間の流れを考えると当然なのかもしれませんが。

② これぞトレインスポッティング!というようなエグい、エロい、グロいな演出がほとんどなかった。

異性の友人と観に行ったので気まずいことがほぼ無くて助かりましたが、少し覚悟してまで見に行ったのに拍子抜けするぐらいに平和に終わりました。スパッドが相変わらず汚いことをやってくれたり、今回も若い女の子が「!?」なセックスを見せてくれたりもしますが、「もっとエグくて、エロくて、グロくても良かったのに!」と感じた私はまだまだ前作世代の人間なのでしょうね。きっと自分自身が前作のレントン達みたいな生活への憧れがあるから、続編にも求めてしまうのでしょう。純粋に遊び尽くして40歳を迎えている別の鑑賞者には、年相応に振る舞うレントン達は自然に受け入れられるかもしれません。

 ③ ストーリーに「20年も経ったらあの人が以外にもこんな成長を遂げていた!」みたいな意外性や驚きの演出が無かった。「やっぱりダメに生きてきた人はダメな40代を送るのか」という、微妙に「今からちゃんとしないと、40代は悲惨なことになるんだな」という戒め的な教えを受けて映画館を出る感じだった。

もう全部一気に言っちゃいましたが、これが一番強く受けた印象でした。若い時にヤンチャしていても、大人になってシッカリした仕事に就いて成長していたのは一人だけ。かつてのレントンの相手役、ヒロインだったダイアンだけです。前作で既にレントン達よりもだいぶん年下であるにも関わらず、レントンを手玉に取るような芸当までやってのけていた彼女です。元々の賢さもあったのでしょうが「昔はヤンチャしていたけど」と笑い話に出来るぐらいに現在落ちついているのは彼女だけでした。

その他のキャラクターは、もう皆一列に並んで社会的にアカン人達ですよ。40歳超えてまで、今更何をしているんだ?と自分自身でも哀しくなってしまうような人間になっています。ヤンチャをしていても、どこかでケリをつけないと彼らみたいになってしまう。今からヤンチャをしたい前作世代の人がこの映画を鑑賞すると、前作での高揚感が高かっただけに、一気に現実的な側面を感じて憧れなんて吹っ飛んでしまうんです。だから「ワクワクさせて欲しかったのに、しみったれた現実を見せやがって」と期待はずれ!という感想を抱いてしまうのではないでしょうか。私も最初は「期待はずれだー」と思いましたもん。所詮蚊帳の外の人間の僻です。

 

何よりも20年間の時の流れを感じさせられたのは「ユワン・マクレガーの娘」

これ、もう映画とは最早関係のない無い話になりますが、実は主演のユアン・マクレガーには21歳になる娘いたことをご存知な人はどれぐらいいるのでしょうか?前作が1996年に公開されていますが、このお嬢様は現在21歳、ちなみにモデルをされています。お名前はクララさん。最近インスタグラムに投稿した水着姿の写真が「さすが彼の娘!美しい!」とニュースにまでなりました。

ユアン自身は年を取りましたが、そうはいっても(腐っても)ユアン・マクレガー。45歳になった今も充分にカッコいいです。そんな彼にこんなに大きな子供がいたこと、このエピソードに一番時の流れを感じさせられました、という脱線。

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 クララ・マクレガーさんのinstagramより。さすがモデルさん!足長い!

 

軽くネタバレも挟んでしまいましたが、映画を見なければ分からない部分が沢山あり、この文章で「40歳以下はガッカリするかもしれない」と思って鑑賞したけれども、「20代でも全然楽しめましたけども!」という感想を抱く人もいるかもしれません。是非明日から公開の映画館で、ご自身の20年間を振り返ってきて下さい。なんだかんだ言って映像はスタイリッシュでカッコいいし、ちょっと禿げていてもシックボーイは相変わらずカッコいいし、スパッドもなんだかんだ憎めない素敵なキャラクターのままです。ドイツでの映画館では公開期間が終わりかけで、滑り込みセーフで鑑賞してきました。

日本公開4月8日!T2: Trainspotting トレインスポッティング鑑賞前に復習しておきたい!アナタが知らない7つの事実。

誰が誰だか分かりますか?このポスターが懐かしい!

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 まずは一緒に復習!初代のトレインスポッティング

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この最初の畳み掛けるように流れる「Choose life, choose the job, choose carrier, choose family choose big television.....」の台詞と街中を駆け抜けていく始まりのシーンが素敵すぎますよね。20年前公開された映画ですが、今でも「カッコいい映画」のリストに必ず入っていますよね。日本では1996年の夏に公開されていました。続編の「T2: Trainspotting」は2017年4月8日に公開予定となっています。

最新トレインスポッティングを予習!

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今回の続編では「息子達が主人公!」とかいう二番煎じではなく、ちゃんとオリジナルキャストで20年後のキャラクター達を描いています。20年前の初代の予告編と同じように、この予告編の始まりもリニューアルされ、「Choose life, choose facebook, twitter, instagram and hope this someone and somewhere cares.....」微妙に内容が現代風にアレンジされているのが、カッコいい!テンションが上がって行きますね〜!

まさに「あの人は今?」状態。個人的に楽しみなキャラクター達の変化

予告編で映り込んでいる映像から20年後のキャラクター達の生活が垣間みれますね。シックボーイは相変わらずカッコいいな、オイ!彼はビリヤード台があるバーを経営しているみたいですね。昔ヤンチャしていたけども、今は落ちついた大人って感じがします。まだまだヤンチャな雰囲気も残していますが。

学生から遊びまくっていた女学生ダイアンなんか、パリッとスーツを着てオフィスでちゃんと働いている!そして相変わらず美人なままですね。昔遊んだけども良い女に成長している感がすごいいい。イイ女感がハンパないです。

ドジキャラだけど憎めないスパットは、20年経ってもやっぱりスパットのままみたい。ビルから後ろ手に落下して行くドラッグのトリップの仕方とか、この映像はとってもトレインスポッティングな感じですね!

最後に注目するのは、レントン役のユアン・マクレガー。20年も経てば、やっぱり年取ったなあ。(ある時はスターウォーズでジェダイになったり、ある時は「アイラブユー・フィリップ・モリス」でゲイになったり、色々あった20年でしたね。)でも相変わらず若い女の子と裸でベットに一緒にいるシーンが流れたりと、結局なんだかんだイイ女をゲットしちゃうレントン、20年経っても流石ですね!

 

トレインスポッティングは今年で(正確にはアメリカで公開された年から)20周年です。1週間後の続編公開を前に、ここで実はあまり知られていなかった(知っている人は知っていたかもしれないけれども)トレインスポッティングの裏話を見て行きましょう。予告編とか見ていたら、英語の動画を見つけたのですが、この動画の内容が結構面白かったので勝手に意訳してご紹介します。

 

青春ドラッグ映画の金字塔trainspotting:アナタが(たぶん)知らない7つの事実

まずはこちらの動画をご覧下さい。このナレーターさんのちょっとダルい感じで喋る「近所のお兄ちゃん」な感じが素敵です。

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では、早速7つの事実を見てきましょう!箇条書きで紹介して行きます。(動画を一緒に見ながら読まれると、何となく英語の勉強にもなる感じがしなくもなきにしもあらずだよ!)

⑴ 有名なトイレのシーンはあの映画からインスパイアされていた!?

トイレから出てくる表現は実は「エレム街の悪夢」でナンシーがお風呂で襲われるシーンからインスパイアされているんですって。

⑵ 汚いトイレのう〇こは実は×××だった!?

スコットランドで一番最低のトイレのシーンですが、これ実はめっちゃ汚く見えますが、実はすべてチョコレートで作られていたからめっちゃ良い匂いだったらしいです。

⑶ セリフのスコットランド訛がキツすぎてアメリカ人でも分からない!?

この映画はスコットランド訛も特徴的(スコットランド人以外は全員聞き取りに苦労しているぐらい)ですが、ある酒屋でのシーンではベグビー役のラバー・カーライルのスコットランド訛が強すぎたので、アメリカ版では少し聞き易いようにアクセント修正で声を録音し直していたとのこと。

⑷ スパットとレントンの俳優の名前がどちらも「ユワン」だった!

スパットとレントン役の俳優の名前がEwen(スパット役)と Ewan(レントン役)で発音が同じ「ユアン」で、かつ二人とも「レントン」という名前のキャラクターを演じたことがあるんです。スパット役のEwenは既にレントン役を別の映画でやっていたので、キャスティングの時にEwanの方にレントン役をさせて、Ewenをスパットにしたそうです。(混乱してきたぞ)

⑸ イギリス男子はサッカー狂!

映画の中で男の子達が熱中するサッカー(フットボール)のチームは実在するサッカーチーム「Calton Athletic Football club」なんですって!

⑹ 原作小説の作者がカメオ出演しています。

Irvine Welshが原作の作者ですが、じつは麻薬の売人として映画にも出演していました。なんだったらレントンとスパットを追いかける警察官役で脚本のジョン・ハージも、実は映画に出ています。

⑺ そしてあの有名映画からも影響を受けているんです!

レントンがヒロインのダイアンに出会った「Volcano」と言うbarですが、残念ながら既になくなってしまっています。ですが壁にかかれている白い文字のデザインは「時計仕掛けのオレンジ」にでてくる、狂ったbarのデザインから持ってきているんですって!

 

最後に別バージョンの予告編を。

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なかなかの疾走感ですね。青春って10代、長くても20代を刺している者だと思っていましたが、なんか40代のオジさん達が走ったり必死になっている姿も結構いいもんだなあと思ってしまう。(だって私もアラサーだからね!)そうか、私も同時に年齢を重ねていたのだなあとしみじみしてしまう、そんな映画。

この文章を読んで「あー、そういえば昔見たことがあるなあ。」と映画館に行こうか行かないか、微妙なテンションだった人が「やっぱり面白そう!観に行きたいな!」と思ってくれたら幸いです。さて、公開日前には実際に見てきた私の勝手なレビューを書きたいと思います。観賞後にそちらも一緒に読んでもらえたら嬉しいです。

 

長崎出身のクリスチャンが観たマーティン・スコセッシ監督映画「沈黙—サイレンスー」

Sony CenterにあるCine Starにてほぼ字幕無しのオリジナル言語で鑑賞してきました。

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長崎県出身のクリスチャンとして生きてきて:信仰の始まりと喪失、そして再び信仰を見いだすまで

私はキリスト教徒になった覚えは無い。この世に生を受けてから、間もなく両親によって、私は赤ん坊のうちに洗礼を受けてキリスト教徒になっている。洗礼名として聖母マリア様(イエズス・キリストの母親)の母親の名前を貰っている。このように気がつけば自然とキリスト教徒として生まれ育ってきて、毎週末日曜日は9時から始まるミサに参加する為、8時から放映される仮面ライダーやプリキュアのようなアニメを全て見終わることが出来なかったことを覚えている。子供の頃の私はよく分からないけれども当たり前に教会に通っていて、神父様やシスターと言った教会に関わる人々に間近に接して生きてきた。賛美歌を歌う聖歌隊にも所属していたし、保守的な田舎町において初めての女の子のミサ使い(神父様と一緒に祭壇に立って、ミサの手伝いをする子供のこと)も勤めた。自分の担当の曜日には、6時から始まるミサに合わせて随分早起きをしなければならないにもかかわらず、私は4年生から初めて6年生まで勤め上げた。一度も寝坊や欠席をしたことが無かったと思う。ここまで真っ当にキリスト教徒として育ってきたからこそ、私は純粋に神を信仰していたし、キリスト教徒の教えを感じて生きてきた。だからこそ、この潔癖さ故に、私は一度信仰を失っている。

私は早熟な子供であったと思う。両親の離婚を経験したのは10歳で、長崎は母の実家であった。幼少期に通った教会は都市にあり、そこには外国籍の子供もいれば、様々な人々が、そして多くの人々が各地から通ってきていた。だからこそか、その教会はより組織化されていたと思うし、また神父様やシスター以外にも熱心な信者さんが尊敬されていて、シスターや神父様は絶対的な権威と言うよりも身近で親しみのある存在に思えていた。

一方、長崎の片田舎の小さな町に置ける神父様やシスターの絶対的な存在感や、熱心な信者による「神父様」という極端に敬い奉る姿勢は私には奇妙に思えた。物心がつくようになり、また知恵も価値観も身に付いて行くにつれ、神様の教えを問いている神父様が「明日から禁煙」というふざけたポスターを貼って、その前で笑いながら煙草を吸っている姿に混乱を覚えたし、極めつけであったのは子供を叩くシスターの存在であった。私が信仰を失った決定的な出来事は、ミサ使いの仕事を終えた直後に起こった。

とても大きくて重たいロウソクの火を消そうとした時、背が届かないため、どうしても一度ロウソクを台から外す必要があった。その時の私は非力であり、ヨタヨタとよろめいてしまった。その瞬間にシスターは「ロウソクの鑞を絨毯に零さないように!」とキツく𠮟った。でも私はその言葉に驚いてロウソクを傾けてしまった。熱く溶けた鑞が落ちてきて、私の手の甲を焼いた。それでも私は何とか持ち直して、ロウソクを元に戻し、火を消した。駆け寄ってきたシスターは開口一番に「だから言ったでしょう!絨毯が汚れたじゃないの!」と私を叱りつけた。私は火傷した手の甲をさすりながら、この人に信仰などないと確信した。どうして私の傷に共感を覚えないのか。弱き者、幼き者に哀れみの気持ちを持てないのか。彼女の聖書の教えにそぐわない行動ばかりを見てきていた。小学校を卒業してから、私は同時にミサ使いも聖歌隊も卒業して、それ以降は嘘のように教会から距離をとった。ミサに来なくなった私のことをシスターが「あの離婚した家庭の子供は教会に来ない」と、悪く話していることを人伝いに聞いた。

またキリスト教徒の儀式の一つとして、堅信式(けんしんしき)と呼ばれるものがある。洗礼が両親の希望によって赤ん坊の時に授けられること、また6〜7歳頃に勉強して受ける初聖体(はつせいたい:初めてキリストの身体、つまりパンを頂けるようになること)の儀式とも違い、堅信式は14〜15歳頃、つまり物事の分別がついた時期に行われる。本当に自分の意志でキリスト教徒になる、その機会が堅信仰式であり、教会で一般の信者として認められる式なのである。この式の為には通常一年ほど書けて教会で勉強会が行われ、勉強内容を確認する筆記試験だってある。この勉強会に私は3回ぐらいしか通っていないと思う。ただ母親の希望もあったし、キリスト教徒であること自体に抵抗は無かった(その当時の、その町の教会が好きになれなかっただけだったと思う)ので、私も堅信式は受けたいと思っていた。そこで聖書を自分で読み込み、友達から資料のプリントなどを貸してもらい、自分で勉強したのである。皮肉なことに筆記試験の結果、私は一番の成績を取った。もちろん神父様は成績が一番の者を認めないわけにはいかなかったのだと思う。この時の神父様はすでに「明日から禁煙」のふざけた神父様ではなかった。教会の神父様にも任期があって、数年ごとに別の教会を担当するのだ。この時の神父様はアメリカにも留学したことのある、見聞の深い40代ぐらいの神父様だった。名前だって覚えている。この人に私は呼び出された。

「お勉強ができるだけでは、キリスト教徒として認めるわけにはいかないんだよ。」当時の私はものすごく皮肉れてしまった子供だったので「毎週一回、一年も勉強会に通っていた人達がどうして私よりもいい成績を取れないのか理解に苦しむ。所詮教会の教えとはその程度の物なのか」という怒りすら持っていた。神父様の言葉にはカチンときたし、顔にも表してしまっていたと思う。私の気持ちを汲み取った神父様は「だから貴女には堅信式で、信者としての役割を担ってもらいます。」そういって私に、毎年3人にしか任されない聖書の一節を読む役割を与えて下さった。今にして思えば、この人は私の心の中での信仰への想いを汲み取っていて、手を差し伸べて下さったのだと思う。当時はまだ分からなかったけれども、今はこの神父様に感謝している。私が唯一名前を覚えている日本人の神父様はこの人だけなのだ。あんなに忌み嫌っていた教会であったのに、堅信式ではとても穏やかな気持ちで式に臨む自分に驚いた。それから私が失った信仰を取り戻したのは17歳のときである。

アメリカに留学する機会を得て、その時お世話になったアメリカ人の家庭が熱心なキリスト教徒であった。毎週末通う教会で私はよく眠りこけていた。英語のシャワーに耳が疲れ果てていたことと、色んな陰口やプレッシャー、そんな余計なパワーで疲れることの無い、完全なる静寂と信仰の場を初めて体感して、私は心底安心し切っていた。その地でお世話になった教会の青年グループも素晴らしかった。アメリカの妹は恵まれない人々の為に家を建てるプロジェクトに参加する為、メキシコにまで行っている。アメリカの母も父も、とても苦労をされた人達であったけれども、驚くほどに人格者であった。その二人に育てられた妹は、まさにアメリカのキリスト教徒、といった正しい価値観と正義感に突き動かされるタイプの人間である。彼らと過ごす時間で、私は自身の信仰を取り戻したし、この時初めて自ら選んでキリスト教徒になったと思う。

その後大学に進んだ私は、アルバイトでお金を貯めては世界中を旅して回った。メキシコの奇跡の地、グアダルーペのマリア様にも会いに行ったし、ローマではバチカン市国を訪ね、当時のローマ教皇の祝福をサン・ピエトロ広場で受けたりもした。人生に悩んだときはスペイン北部にあるキリスト教徒巡礼の道、エル・カミーノと呼ばれる道を歩いた。ひたすら300km歩いて歩いて、サンティアゴ・デ・コンポステーラと呼ばれる大聖堂で世界中の人々とともにミサにも出席した。キリスト教徒の三大聖地といえば、イスラエルのエルサレムを訪ねてしまえば最後である。27歳でキリスト教徒の聖地をこれだけ巡っている日本人も少ないことだろう。

前置きが長くなったが、私は祖母のそのまた前の代からキリスト教徒であり、生まれた瞬間からキリスト教徒でありながら、信仰を無くし、そして再び取り戻すと言う、葛藤も経験したキリスト教徒である。そんな私にとって、遠藤周作氏の「沈黙」はとても重要な小説であり、また同様にこの映画は公開前から必ず観たいと思っていた、とても思い入れのある作品である。

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私と遠藤周作とキリスト教

私のキリスト教感は一般的なキリスト教感とは異なると思う。正式なキリスト教、カトリックでは婚前交渉も、堕胎も、避妊も認められてはいない。同性愛も、まだ認められていない。しかし私はこれら全てを肯定しているし、だからといってキリスト教自体には反感を抱くことも無い。たとえキリスト教の神父様による児童虐待や不正のニュースが出ようとも、教会としての権威が失墜しようとも、私の中にあるキリスト教感は失われることは無い。私はキリスト教こそ「一番人間臭い宗教」だと思っているので、今更人間のエゴが噴出しようが怒りや嫌悪を覚えても、それ自体に失望したり驚きはしない。

人間は間違いを犯す、弱く、醜く、そして時に醜悪である。教会もまたその歴史は消して美しいものではなく、免罪符と言う金にまみれた歴史や、異教徒弾圧の歴史、そしてラテン・アメリカ侵略時の強制的な布教活動などは決して誇れるものではない。歴史家が研究、指摘し、また皆さんが感じる通りに間違った行いをしてきた宗教でもあると思う。

ただし、その中で神を信じ、その教えに沿って生きてきた人達もいる。マザー・テレサなど有名な人をあげればきりがないが、私が一番感動したのは長崎県にある浦上天主堂にいらっしゃったご老人のシスターであった。長崎から関西の大学に進学する前、私は長崎人として長崎の原爆資料館を訪ね、また原爆被害を受けた教会をこの目で見る必要性を感じた。長崎の路面電車に乗って、辿り着いた浦上天主堂は今なお原爆で焦げた天使像をみることができる。教会で静かに祈りを捧げ、帰る前に入り口で小さな買い物をした。そこにいたシスターはとても年を取っていたけれども、それまで出会った誰よりも幸せそうな、まさに「満ち足りた」という表現がふさわしい顔をしていて、彼女の神の道に生きていると言う充実感に圧倒されたことを覚えている。このような人生を歩ませる神の力。私はこの時、たとえ神という存在が存在しようがしまいが、神を信じる人々のその精神性を信じようと心に決めた。だから現在も私に取って神様とは私の心の祈りを捧げる対象であり、イエズス・キリストとはその対話の間に入ってくれる、直接の対話相手である。その為、イスラム教や仏教であれ、どのような宗教を持っている人に対しても対話相手が異なる人という認識を持っていて、結果的には同じ神様に向かって祈っているのだと思っている。

遠藤周作氏の「沈黙」を読んだ時、私は驚いたのだ。それまで私は「このような独自の解釈の元にキリスト教を信仰している自分」をどこかあまり肯定出来ないでもいた。しかし「沈黙」を読み、また作中のロドリゴ神父の葛藤を読む中で、彼が最後に辿り着いたキリストの存在の認識の仕方の変化、またその結論の出し方に親しみと共感を覚え、そして初めてキリスト教徒として肯定された気分になった。私が「沈黙」を読んだのは、バチカン市国からの帰り道である。

 

ローマ、バチカン訪問後に読んだ映画原作小説「沈黙」

私はまず、20歳ぐらいの時に遠藤氏の「海と毒薬」を読んでいる。人間の罪悪、また戦争の傷、人々の過去、そのようなものを読みながら、私は実家の九州や、また自らの家族の歴史を振り返っていた。この作品が「戦後とは祖父母の時代の話だけではなく、今現在の私にまで影響を及ぼしている」と感じるキッカケとなり、長崎に帰省した際に母に頼んで二人で長崎県の東出津町にある遠藤周作文学館を訪ねた。海を真下に見下ろすことの出来る場所に位置するこの文学館には、遠藤周作の作品、また実はユーモラスでもあった人柄を知ることが出来る資料が沢山残っておりとても興味深かった。まだ一作品しか読んでいなかったので、その文学館で購入したのが「沈黙」であった。この東出津町が隠れキリシタンの里であり、また沈黙の舞台になった場所であったからかもしれない。私は何故かこの本をずっと所有しながらも、なかなか読まなかった。「この本を読めば、私のキリスト教感に影響が出るかもしれない」という怖れがあったのだと思う。当時は強い信仰心を自覚していなかったし、教会にだって年に一度行けば良いぐらいであった。だから私はあえて「バチカン市国に行ってみて、キリスト教徒としての最高の体験をした後に、その帰り道に読んでみよう。」と決めたのだ。自分の信仰心を実験してみたかったのかもしれない。それから2年、私は22歳の時に「沈黙」を読んだ。5年前のことである。

「沈黙」では自らと、そして自らが愛する信者達が虐待され、棄教を迫られる中で神に自問自答するロドリゲス神父の葛藤が描かれている。信者の虐待で呻く、苦しみの声を毎晩聞きながら、発狂しそうなほどに苦しむ神父は「なぜ貴方は沈黙するのですか?」と神に問いかける。「神は存在すらしないのではないか?」と疑念まで抱く。しかしその苦しみの中で、驚くべきことに彼は「イエズス・キリストもまた、迫害を受け、苦しみに苦しんだ。今の自分の体験のような体験をしたのだ。つまり私はイエズス・キリストの追体験が出来ている。彼を一番理解出来る状態にある」と喜びを見いだす瞬間が合った。私は、ここに一番の衝撃を受けた。信仰心がある人は、最大の苦しみの中で、その中にすら神を感じることが出来るのか。そしてその信仰心により、その苦しみの中でも自らの生に意義と尊さを見いだし、更に充実感すら感じている。人々にとっての幸福が、またその測り方が、その人に中にあるということ。この事実に私は衝撃を受けたし、救いすら感じた。長崎の浦上天主堂で感じた「信仰は教会そのものでも、教会の権威の中にでもなく、神を信じる人々の中にある。」この考え方を肯定されたと思った。つまり私は、バチカン市国を訪問し、信仰を試すように「沈黙」を読んでみたが、更に私の中での信仰心を強固にしただけであったのだ。

 

日本と言う土地は「信仰の芽が芽吹かない泥沼」なのであろうか。

映画でもひたすら繰り返し描かれてきた「日本と言う土地は信仰の芽が芽吹かない不毛の土地である」というテーマに関しては、半分異議を唱えるし、半分はその通りだと思う。まず、時代としてキリスト教徒にすがった人々は貧しい農民が大半であったと思う。

小松奈々が演じた少女信者の台詞にも合ったように「天国ってとっても良いところなんでしょう?重労働も無いし、重税も無い。皆が幸せに暮らせるところなんでしょう?」と、キリスト教が説く天国へ召されること、それ自体に現実逃避的な救いを感じていたのだと思う。いっぱい神様に祈って、きちんと告解をして罪を清めれば、現世の苦しみから解放されて優しい神様のところへと旅立てる。だからこそ作中でも、「死ぬことが怖くないのか?」と、がなるように問いかけるロドリゴ神父に対し、「死ぬことは怖くないのに、どうして?」と不思議そうな顔を向けるのだ。それぐらい当時の生活は過酷なものであったのだろう。だから、彼らにとって「祈り、罪を清めれば天に召される」という教えはまさに救いであり、キリスト教そのものの教えが素晴らしかったからかと考えると、当時としては斬新でかつ単純化された教えが魅力的だったから飛びついた、とも想像出来る。だからこそ、当時はそれ以上の深い信仰心をもつことは難しかったのかもしれない。この点から真の信仰心、というものは芽吹き辛かったと思える。

また先に棄教したと言われているファレイラ神父が口にした「彼らはキリスト教を理解してなどいない」という発言は、そもそものキリスト教を布教にきた神父らの簡略化した教えによる弊害であるとも思える。当時の異国の地で、外国籍の神父らがキリスト教の教えを細かく伝え切れたかは疑わしく、簡略化して伝えたと想像出来る。(実際に、キリスト教では偶像崇拝はそもそも禁止されているにもかかわらず、至る所にマリア様像などが置かれているのは異教徒に布教する際に形にした方が布教し易かったから、という利点から始まっている。)この点から、日本人にも信仰心はあったけれども西洋の生まれながらにしてのキリスト教徒としてのキリスト教感とは異なっていたと思うし、また布教した神父達自体にも当時とては限界があったとも考えられる。私は歴史家ではないのでもし間違った解釈をしていたら申し訳ないだが、当時の日本のことを思えば「信仰の芽が芽吹かない泥沼」と言われても、半分は肯定し、半分は違うと言いたい。たとえ不完全でも信仰心そのものは真実であったからだ。

 

キチジローが告解(懺悔)し続ける理由の解釈は「告解することで罪を許されたいから」それだけなのか?

作中では何度も窪塚洋介演じるキチジローが「Padre (パドレ:現在のスペイン語で単純には「父」を現し、日本語で「神父様」を意味する単語)」と呼びかけながら、何度もロドリゴ神父にすがりついてくる。「罪を告白させてくれ。罪に苦しんでいるんだ。」と堪らない形相で訴えかけてくる。ロドリゴ神父はキチジローを軽蔑しながらも、何度も告解に付き合い、そして罪を許してやる。一緒に映画を鑑賞したイタリア人は、キチジローが告解したいと現れる度に鼻で笑っていたし、「彼は告解したら罪が許されると思っているから何度だって告解にやってくる」と軽蔑気味に感想を口にした。でも私はキチジローの別の台詞に胸を締め付けられて、とても苦しかった。

「もし時代が違えば、俺だって良いキリスト教徒になれたんだ。でもこんな時代で、俺は弱いから、怖くなって踏み絵を踏んでしまった。弱い人間はどこに行けば良い?こんな時代の弱いキリスト教徒はどうしたらいいんだ?」とロドリゴ神父にすがるシーン。実は、このシーンこそがこの映画の命題であり、遠藤周作自身が描こうとしたキリスト教感であると思う。彼自身もキリスト教徒として「身体に合わない服を着せられたようだ」と違和感を感じ続けていたし、その中で感じ、考えた想いを持ってして「沈黙」を書いているからだ。キチジローこそが遠藤周作でもあるし、また私自身でもあると思った。私もまた一度信仰を失っているし、そして遠く離れた異国の地で信仰を取り戻しているからだ。もしあのまま、あの町を離れなかったら。強烈な異文化でのキリスト教感を体験しなかったならば、あそこまで深く刻まれた不信感を拭えなかったと思う。私もまたキチジローになり得ていたし、またいつだってキチジローになりえるのである。

彼がすがりついてでも行いたいと思った告解は、自らの罪を許されたい、という神からの救済を求める自己保身もあったかもしれないが、それ以上に「キリスト教徒でありつづけたい」という信仰心そのものの表れである。もし彼に信仰心すらなければ、告解も神からの救済も意味をなさないからだ。冒頭でロドリゴ神父が感じた「キチジローの瞳の中に見た、キリスト教への信仰」は間違っていなかったはずだ。彼も本質的には分かっていたからこそ、最後は付き人として側に置いたのかもしれない。しかし、それ以上に信仰の前に殉教して行った信者達を思えば、口が裂けてもキチジローを認めることは出来なかったであろうが。

 

映画「沈黙—サイレンス—」は常に「自問自答し続ける」人に響く映画

この映画は「信仰心」の問題だけではなく、「他方で正しいとされていることが、一方では正しいとは限らない」という真理も描いている。西洋文化で是とされているキリスト教も、日本では「頼むから止めてくれ」と言われている宗教だったのだ。「その地に信者がいる限り、神父が赴く義務がある」という使命感に燃えて旅立って行く若い神父様達にはすごく心苦しかったが、井上様なる侍達が「キリスト教はこの地には不要だ」と何度も言い聞かせる台詞が、単純な拒否ではなく充分な審議の結果至った結論であることからも、彼らの布教活動はすごく乱暴に言ってしまえば「傲慢なお節介」であったとも感じた。(画面に映る信者達が私の祖先と言っても違いないとも言うのに。)

またロドリゴ神父の葛藤や結論に至る過程から、誰が何と言おうとも真実、また信仰は自分の胸の内にある、という真理が見えてくる。情報が氾濫し、でも「空気」や「世間様」という法律以上に効力を発してくるプレッシャーや他者の目の中で生きる現代の日本人には、この映画を「自問自答の映画」と考えてもらえればとても響くと思う。何がヨシとされ、何がヨシとされない社会で、自分は何を選び、生きて行くのか。ロドリゴ神父の葛藤は、現代日本人でも共感出来る部分があると思う。

アメリカ人であるマーティン・スコセッシ監督自身も敬虔なクリスチャンの家庭で生まれ育ったそうだ。キリスト教徒としての葛藤を抱えていた彼自身が、遠藤周作氏の「沈黙」を読み、深い感銘を受けたと言っている。だからこそ映画化の権利を25年前に習得し、何度も計画が頓挫しながらも、こうして今、映画として完成させているのである。監督自身が自問自答し続けてきたからこそ、この映画は日本政府側の人間、布教側の人間の両側の意見をきちんと公平に描いているし、観客に問いかけるメッセージも明確かつ重みがある。監督の思いに応えて、全てのキャストがまさに身を削って演技をしていた。肋骨が浮き上がるほどの減量や、日本人キャストは美少女の代表格、小松奈々に至るまでキリシタン役の者は皆ひとしく小汚いみすぼらしい歯になっていた。爪の先まで、皮膚の皺までこびりつくように泥にまみれていた。作り手の本気を感じる映画であったと思う。遠藤周作氏も、天国から拍手を送っているだろう。

 

約3時間もある長編映画であり、仕事終わりに気軽に観に行く類いの映画ではない。もしかすると、DVD化を待って、自宅でゆっくり鑑賞する方が良いかもしれない。ただ、劇場鑑賞後に、エンドクレジットで流れる、ただただ蝉の声、そして夏の音。その沈黙のようで沈黙ではない演出に、私はもの凄く感激した。これがDVDだったらここまで感激しなかったとも思う。圧倒的な映画鑑賞後のエンドクレジットを体感する為に、映画館に行かれるのも良いと思う。

ものすごく個人的で、かつ半分以上が直接映画に関係のない私の身の上話になってしまっていたが、このように無駄に長い文章を最後まで読んで下さった方に感謝する。日本公開前作品でも、日本未公開作品でもなく、わざわざベルリンから書く必要も低い文章ではあるにせよ、この映画に関してはどうしても文章にしておきたかった。想いの丈が余りに余って約一万字も書いてしまいました。最後までお付き合い下さって、有り難うございました。